河内町立源清田小学校ホームページ
 
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 学校紹介
 
学校長あいさつ
本校の歴史
 「学校沿革誌」によると、本校は、明治7年に光明院という廃寺を仮校舎として開校したとなっています。その後、校舎移築や合併、増築などを経て明治25年(1892年)6月1日に源清田尋常小学校として創立したといわれています。
 明治・大正・昭和・平成と本校の歴史を見てみると、利根川堤防の決壊に床上浸水、暴風による校舎倒壊、類焼による校舎全焼など苦難の歴史もありましたが、地域の皆様の努力や関係各位の協力によって発展を続けてきました。
 校歌の一節にある「・・・利根の如くに 逞しく 生きん堂々 身も魂も・・・」のように利根川の流れと広々とした春には緑の、秋には黄金の田園の広がる環境の中で本校の子どもたちは伸び伸びと健やかに成長しています。

現在の取り組み(平成20年度の学校経営)
 創立100周年を記念して、校庭に建てた「未来へ」と題したブロンズ像(作:山崎猛茨城大学教授)は、左手を天に向かって指し、右手を頭の後ろにかざしています。この姿は、21世紀に向かってはばたいていこうとする大きな希望と強い意志を表現したものだそうです。
  この像のように、源清田小学校の子ども一人一人の将来への夢を実現させるために、それぞれが努力して自分の才能を大きく伸ばすことを願って次のような学校経営方針で日々の教育活動を展開します。

【 本 年 度 の 経 営 方 針 】

1 基本理念  :  「 夢や希望を持つことは努力することへの原動力である 」
             『 未来に夢を抱き、自己の可能性へ挑戦する子どもの育成 』

2 キーワード :  「 大きくなったら何になるの? 」
     「  夢   」・・・将来の自分の姿(大きくなったら何になりたい:あこがれ)
     「 目標 」・・・将来の自分の姿(夢)に近づくために解決しなければならない課題


・・・・変化の激しい今の時代を自らの目標に向かってたくましく生きぬいていける力を源清田小学校の子どもたちに育てることをめざします。
 
沿革
明治8年 村の光明院(現在は廃寺)を仮校舎として開放する。
明治16年 新橋沼北側に校舎を新築し、移転する。
明治19年 県令により古河林小学校として合併する。(一村一校となる)
明治25年 源清田尋常小学校として設置、許可される。(創立記念日 6月1日)
明治29年 利根川堤防決壊(天明年間以来の大洪水)のため床上二尺五寸の浸水
9月11日から10月2日まで臨時休校となる。
明治34年 体育館竣工式。 高等科併設を許可され,泉福寺を仮校舎とする。
明治35年 高等科教室一棟新築落成する。暴風雨のため校舎が倒壊する。
明治36年 類焼のため、校舎全焼する。
明治37年 校舎を竣工する。
大正9年 増築校舎完成する。
昭和16年 源清田国民学校となる。
昭和22年 瑞穂村が誕生し、瑞穂村立源清田小学校となる。
昭和24年 瑞穂村から分離し、源清田村立源清田小学校となる。
昭和30年 河内村が誕生し、河内村立源清田小学校と改称する 。
昭和42年 学校給食優良校として文部大臣賞を受ける。(受賞の記念碑建立)
昭和48年 プールが完成する。
昭和53年 体育館が完成する。
昭和54年 防音鉄筋校舎が完成する。
昭和56年 昭和55年度茨城県健康優良校として、教育長賞を受ける。
平成4年 創立記念日制定百周年記念式典を挙行する。
平成8年 河内町誕生に伴い、河内町立源清田小学校と改称する。
平成13年 茨城県ハートいっぱい推進事業の協力校となる。
平成14年 文部科学省より「児童生徒の心に響く道徳教育推進事業」の2カ年の指定を受け、平成15年度に研究発表会を開催する。
平成19年 稲敷郡、河内町両教育研究会より2カ年の指定を受け、10月30日算数科の研究発表会を開催する。
テーマ「学ぶ楽しさや分かる喜びを感じ、確かな力を身につけていく子どもの育成」
 
交通アクセス
〒300-1324 茨城県稲敷郡河内町源清田1942 TEL:0297-84-2008 FAX:0297-84-2077
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